碑文谷公園記

2018年09月29日

柿の木坂写真工房から自転車で10分の碑文谷公園。

緑が多く過ごしやすい公園で、ジョギングをする方、厳島神社にお参りをされる方、お友達と景色を見ながら談笑をされる方と、地元の方の憩いの場になっています。
公園の中には小動物と触れ合える「こども動物広場」もあってポニーにも乗れるんですよ!そしてポニーに乗れるのは中学生以下ですよ!(←ご注意を!)

さて、そんな碑文谷公園に入ると一番に目に入るのは公園中央の大きな池「碑文谷池」ではないでしょうか。

 

公園を歩いていると、何やら石板が・・・。なんかかっこいい。けど風化が激しくて読めない。

 

と、思ったら、横に書かれた文字を記録した看板がありました(丁寧な仕事!)

その名も「碑文谷公園記」。そこには碑文谷公園ができた記録が記されていました。どんなことが書いてあるのでしょう。補足しながら碑文谷公園記を解いていこうと思います。

 

今はすっかり住宅街の中にある碑文谷公園ですが、その昔は、当社柿の木坂写真工房付近も含め、このあたり一体は農村でした。

田んぼには綺麗な水が大量に必要です。そこで大活躍していたのが「碑文谷池」。この頃は公園の一部ではなく、がっつり生活の糧として使われていたのですね。

(碑文谷池は目黒にある立会川の水源にもなっていて、立会川は当時、魚も泳ぐ綺麗な川だったそう。)

 

農村の方々が管理しつつ大切にされてきた碑文谷池ですが、やがて村は縮小し住宅街へと変化していきました。

そして1932年10月1日(昭和7年)、碑文谷池とその周辺の地域は、地元の人々の手から東京市(東京市:現在の東京23区地域あたり)へ寄贈されます。

そして一年後の11月15日、東京市によって碑文谷公園として生まれ変わりました。

 

地元の方々が東京市に寄贈する際、出した条件があります。それは・・・

「碑文谷池の永久保存」

 

碑文谷池が地元の方々にとっても愛されていた事がわかります。
そんな歴史が「碑文谷公園記」には書かれています。
削れた石板の文字が、歴史を感じますね。
(現在、碑文谷公園は目黒区管理)

 

100年以上前から人々に愛され生命を育んでくれた碑文谷池。次回は見る目が変わりそう・・・。
この他にも碑文谷公園には歴史のヒントがたくさん詰まっておりますので、公園の中をゆっくり歩いてみてくださいね!

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